お昼は会社のデスクでサラダを食べている。
「いつも頑張ってますね」と時々声をかけられる。
別に頑張って食べているつもりはないんだけど、と思いつつ、
そんなときは「これ、美味しいんですよ」と答えている。
自分としては、好き好んでサラダを食べている。おいしいから。
傍から見ると修行僧のように見えるのか。
ダイエットはつらいもの、頑張るもの、努力するものという観念があるようだ。
好き好んでする、ダイエットに限らず物事を継続的にやるためには大切なことだと思っている。
イヤイヤやるよりも、好き好んでやったほうが当然続くに決まっている。
もともとダイエットのために始めたサラダ食。
いつの間にかサラダを楽しむようになっていた。
ダイエットよりも、その手段のほうが楽しくなる。
いわゆる、手段の目的化。
手段の目的化は悪い意味で使われる言葉だ。
なんのためにやるのか意味のわからない定例会議とか。
目的を見失い、手段だけが形骸化して残ってしまう。
だけど、そんな手段の目的化もちょっと見方を変えてみてると結構役に立つ。
例えば運動を続ける目的で、ポケモンGOなどの位置ゲームを楽しみながら歩く。
ダイエットのために始めた筋トレが、筋肉を育てることにハマってしまうとか。
何かを続けるには、その手段を目的にして楽しむのがよい。
ダイエットはつらくて厳しいものではなく、楽しいことを自発的にやる。
結果的にダイエットになっていた。
これがダイエットを継続させる肝なのかなと思う。
だけどよく考えてみると「ダイエットを続ける」という目的を達成するために、「手段を目的化する」という行為は、その目的に向けて正しく進んでいるという、おかしな状況にもなっているというオチである。
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